鬼ノ城(きのじょう)

皆様ご存知でしょうか?

岡山県総社市にある鬼ノ城
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神籠石式山城。国の史跡。
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ではご紹介してまいりましょう
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鬼ノ城には角楼跡、東西南北各門跡、水門跡、敷石、礎石建物跡などがあります。

鬼ノ城の由来(HPより)
古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。
それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。
彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、
婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」
これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。


岡山県に親戚が住んでいてよく行くのですが、この鬼ノ城へはリニューアル前から行ってます
写真はうっかり全部消してしまったので、以前の写真がありません


角楼跡です。以前はありませんでした。
私が二度目に行った時、ちょうど造ってる最中でした。
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鬼ノ城はすり鉢を伏せたような形の山で、斜面は結構急ですが頂部は平らで、
八合目から九合目にかけて、城壁が2.8 ㎞にわたって鉢巻状に巡っています。


食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡です。
リニューアル前は地面もこんな感じでした。今は遊歩道が出来ています。
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西門跡です。
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平成8年の調査で新たに発見された城門。正面3間(12.3m)、
奥行き2間(8.3m)の大規模な城門。中央1間が開口します。


敷石。ここはいつも歩きました。お正月2日の朝6時に登り、
見渡したら全面雲海でとても美しかったことを思い出します
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板状の石を敷き詰めて通路状としたもの。城壁が流水によって壊されることを防ぐための施設。
敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしか見られません


かつては裏門ではなかったかといわれています。
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南北両方から入り込んだ谷の頭部にあたる背面側の要地で、正面側約13m、奥行き側約4mが
前方へ突き出した長方形の張り出し部が城壁に付設されている。
石垣の間には約4m間隔で、一辺約50㎝の角柱が立っています。



奥坂地区にある鬼ノ城。標高397mの吉備高原の南縁に築かれています。
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動乱に明け暮れていた7世紀後半の朝鮮半島で、百済に援軍をおくっていた日本。
663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗してしまう。

唐・新羅の日本侵略を恐れた朝廷は、早急に北九州から瀬戸内沿岸、畿内にいたる国土防衛の施設を
築く必要がありました。


鬼ノ城もそれらの一つとする考えが有力ですが、吉備津彦VS温羅(うら)の戦いの話しや、
温羅がデッカイ石を放り投げた話し温羅の眼の血が流れたといわれる血吸川などの伝説は
浪漫がありますよね。
身長何センチだったんだろう

一度皆さん足を運んでみてくださいね。
頂上近くまで車で行けますし、60台駐車可能なパーキングもあります。
道は歩きやすくなってますよ

アクセス:JR吉備線「服部駅」下車徒歩5㎞
      「総社駅」下車タクシーで20分

こうもり塚古墳作山(つくりやま)古墳、岡山市北区にある吉備津神社(鳴釜神事)や
吉備津彦神社などの話しなど見どころ満載
いったん昨日と今日で終わります。でも鳴釜神事は体験したのでご紹介しますよ

総社・・・総社・・・ってツイッターで紹介してたら総社市の市長さんにフォローされちゃった(^_^;)


じゃまたね
うらら~うらら~温羅裏で~
私は貴方のものじゃない ヘイ

次は待ち時間5時間越えの病院のお話しです

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